2009年4月18日土曜日

真ん中の丸顔の人が後藤さん?

●OBの会、世話人の後藤さんは、大変にお元気で、OBの会カレンダー(カラー写真入り)を皆に作ってくれたり、世話人会終了後の「飲み会(いつもの・さくら水産)」では、ドリンクサービス券をメンバーに配り「ハイ、この紙に記入して下さい、飲物がサービスされます」と毎回、やってくれている。この間の写真は後藤さん秘蔵のものをお借りしました。 感謝

●やや本郷中心になりがちなOBの会や世話人会での後藤さんの存在は「東C」の声を反映する為にも、貴重な存在とアトムには見えた。

祝 第27回メーデーの横断幕がある!

●日本での第一回が1920年とすると、1947年5月1日の写真?なんとアトムの生れた年だ!メーデーは
理事会は営業を取りやめ、労組はストライキでメーデーの参加していたネ。昔。最近はどうしているのでしょうか?
●アトムも労組の半日専従(半日を仕事、半日を労組)など、訳もわからずやっていた時期もあった。メーデー以外にストは、東大闘争時に1回くらいあったかナ。でもそれ以外にも「スト権確立」の提案が90%以上の賛成で行われた経験がある。春闘で、経済要求を掲げたスト権確立は、理事会も労組にも大きな波紋と議論を呼んだ、今でもスト権確立は議論を呼ぶが、段々、普通になりつつあるのでは?

●当時、困った事は、例の「全共闘」諸君が、生協労組の「スト権確立」の戦いを、『支持声明』みたいなビラが出て、少し介入の兆しがあった事だった。まともな労働者の組織に彼等が入ってきたら、ハチャメチャになりそうな流れになることは誰もがわかる...。

慰安旅行か研修会なのか?ネクタイ姿が多い?!

●ツメ入りの学ランとネクタイ姿の紳士や淑女がいます。味田さんがいます。1-2回味田さんのお宅で、生前にお酒を一緒に飲んだ記憶があり、その時「有名な詩人が、私の作品を勝手に使用した。百舌が枯れ木で鳴いている....。という歌なんだ」と涙を流しながら、悔しがっていたことを、今でも鮮明に覚えている。事実は知らないが、一緒に泣いてた。

2009年4月17日金曜日

応援団の群れか?でも山の中?

●よく見ると、以前の人の「人相」って、皆、すっきりして、知的な感じがする。最近、どの顔みてもナントなく、誰もが人相が少し、厳しい感じがするが、どうでしょう?ナント言うか、「狭苦しくて、呼吸が少ない」感じで、幸せ感がない。特に子供がそうだ。貧しい国の子供の方が、子供らしく、夢がある。キラキラしている。わが国の子供達は変に大人びた言葉や振る舞いが目立つ。
●世話人の福澤さんがブータンに度々、行っている。私達の国は「GDP」が国の成長指標だが、ブータンは「GHP」?って国民幸福指標と言う新しい物差しがあると聞く。一度その辺を詳しく話して欲しい。ブログへ投稿もして頂きたいです。

この山は?何処ですか?噴火前の桜島!?

●画面によく出る方で「ジョン小杉」の息子さんで不動産のCMやオロナミンのCMに出るタレントさんにそっくりの方がいます。誰かは知りませんが、マジ似てます。伊藤さんのオカッパ頭、悪いのですが、やや面白いとは、思いませんか?

城ヶ島?何故かナナメになっています?

●世話人の後藤さんよりお借りした写真ですので、駒場の方々が多いのです。でも駒場の方が、もっとOBの会に参加をして、お互いに共通の話題をそれぞれの見方で話をするのも新鮮だと思いますが、どうでしょうか?OBの会で「発見そして再発見できる場」としても、面白いのでは?!

●本郷購買部の同窓会に参加した方で、「自分の知らない青春を知った」とスクリーン上映をみて、考え深げにおっしゃっていました。5月31日OBの会でも、上映を計画しています。

画面を拡大したい時は、画像をクリック!

●「若く、明るい歌声が...。」と聞こえるような写真です。バックの山々の素晴らしさは、心の中から消えはしないのでは?時は流れ、季節は巡り、また夏が来て思い出すことは素敵な人生です。モノも必要だけど、ココロも大事だナと最近、つくづく感じる事があるのは、年だけのせいでもなさそうですネ。

拡大して見て。そして皆の顔を見て!

●長野だろうか?男性と女性のバランスがいいですネ!多分、恋に落ちた二人はこの中にいると思うが!?誰と誰だろう?OBの会で、そんな打ち明け話が聞けたら素敵ですネ。例え、実らぬ想いでも!?

青春してたンだヨ。俺達も。

●後藤さんの写真で、気がついたことは、昔(失礼)写真の構図がしっかりしている、手振れがない、カラーより臨場感や空気感がたっぷりな事です。その点、私達は、意外と退化しているのではと、少し怖くなって来ました。(銀塩のこだわる伊藤久美栄さんの気持ちがわかりかけてくるアトムです)

大先輩が集合です。

●今回は、だいぶ年代の経た写真ですが、世話人の後藤さんからの提供です。連発で掲載致します。また、5月31日のOBの会でも、スクリーンで上映致します。問題はこの年代の方がブログを見れるかどうかと(生存です。当然OBの会に来て頂ければ..。)

2009年4月15日水曜日

誰と話そうかナ。同窓会風景。

●一番前で、頭に鉢巻をしている男がアトムです。ヤツは、ノッテ来たときや酔いがやや回った来た時に始まる行動特性があります。

ご存知、広瀬なかさんです。

●当初、参加が危ぶまれていたが、時間が間に合えば、参加するとのことだった。「竹倉くんに逢いたい」との願いは、実現された。彼女はいつも元気(元気過ぎる?)だ。ますますエネルギシュである。ご主人もOB会でお会いするが「真逆」?で、物静かで、落ち着いた紳士である。一度、お正月にご自宅に正崎さんとお伺いをした時、おいしいお酒とうまいツマミを頂いた(御餅も)記憶がある。
●彼女は、東大生協の女性グループと登山やハイクをやっているらしい。一度参加させて貰いたい。

再び、同窓会の風景です。

●乾杯の音頭は、『最遠方者』ということで、秋田から参加した佐藤忠一さんにお願いした。通称チュウさんと呼んでいた。彼は寮生であったことが今年の2月横浜で再会した時にわかった。寮でも、統一寮ではなく、『練馬寮』である。まったく知らなかった。(多分、東大生協のみかと思われるが)


2009年4月14日火曜日

小諸山荘2

●はしゃぐオジさん。小諸山荘の仕事は気に入っていたのだろうか?風のウワサでは、大変な時期もあり
一時期、寮で最もオジさんのとこに「常駐」していた「早稲田の若狭さん(通称、オオワカ)」が応援に入っていたと聞く。
どんな状態だったのか聞きたいと思っていたが、その若狭さんも20年ほど前に亡くなってしまった。その辺をご存知な方は
教えて欲しい。
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小諸山荘にて

●統一寮の廃止と同時期に、大学生協の施設「小諸山荘」がオープンした。隈部のオジさんは、そこで働くようになった。
写真には、寮生だった石川祐司さんが写っているが、何の席かは不明。(東大生協本部より借用)
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2009年4月13日月曜日

あの板橋区南町の「寮生」に逢いたい!!の声、広がる

●高橋稲代さんの告別式で出会った女性の話「この前、早稲田、慶応、東大各生協の寮生だった3人の女性のところで、『寮って同窓会みたいなのやらないの?』と言う話がでたの」と声をかけられた。
 正直、ドキッとした、あんなにお世話になりながら、オヤジのお葬式も出られず、お墓参りもせず、年賀状も出さず、オバさんのところへもお伺いもしていない。かながわに来ていた「ター坊」の支援も何も出来ていなかった。(はっきり言って恥知らずですネ)

●このままでは、アトム一生の恥でもあり、あの世でもオヤジに叱られてしまう。連絡先がわかったので、話が前後しますが、今日、電話をした。オバさんは85歳で、困難な闘病生活で、マチコ君が介護に当たっていた。頑張っている。早くお伺いをしていく必要がある。同窓会の開催もそうだ。

●心当たりのある人に電話をした。取り合えず「呼掛け人」で、参加してもいい人の確保からだ。
驚いた!電話に出る人のほどんとの人はその場でOKだった。皆、待っていたかのようだった。

●「呼掛け人」に賛同してくれた女性達
(今回、女性からアプローチする。男性と違い、職場を離れても交流が多い傾向があるので)
1.三浦美智子(高橋)2.宮下康子(三浦)3.大石喜久枝(小川)4.浅羽亜子(光岡)5.隈部なおみ6.石川洋子(佐藤)7.須藤知子8.田畑裕子(菊池)さんなど、その場で、了承してくれることは嬉しい中には、自ら実行委員をやってもいいと言う人や「私で良かったらナンデモやります」と。皆、待っていたんだ、誰かが旗を振る事を。若い時代、同じ釜のメシ(古!)、同じ建物、コンパ、ゴミ捨て帰りの行楽など、思い出があるハズなんだ。

 とにかく、このブログを活用して、『寮生の連絡先』『当時の写真』をOBの会の会員の皆様、そして本郷購買部の皆様のご協力を心からお願い致します。 急いで下さい。
  メールアドレス:esnpark@jcom.home.ne.jp
FAX/電話: 046-264-3345  携帯:090-1424-1670

光岡さんと連絡できた!

●連絡先が不明だった「光岡」さんと40年振りに電話で話した。彼女は大変に元気で、なんと、立命館二部で学び卒業をした事、二児の子供も育て上げ、立派な人生を歩んでいた。同窓会の件を話したら、出たかった、逢いたかった、またすぐ開けないの」と強い期待をしていた。(会いたい人も3名ほどスグに出る)

●今は、岡山の津山市に在住している。こちらに来ても、オバさん宅などに宿泊可能なのでとの事。
3月28日同窓会に都合で参加出来なかった方は、20名以上になる、10名くらいでもいいので、同窓会パート2を今年中に企画してもいいか考えよう。アンケートでは、3年後の開催が多く、パート1に参加した方にも、案内をしてもいいのでは..。連絡先不明の方はまだ沢山いる

2009年4月10日金曜日

初参加。対馬さんです!

●変らない「落ち着き」と「クールさ」は、どこか初老の紳士(失礼)さが漂いませんか?対馬さんと言えば「平和委員会」今でも活動されているとの事。今回、カメラマンを頼みました。同窓会の記念写真は、後でくるのが普通ですが、今回は、撮ってすぐその場でお渡しする事にムリを言ってお願いしました。皆様にはお待ち頂き、申し訳ありませんでしたが、経費対策と鮮度重視との思いで実施しました。

●あの「白樺湖」のカメラマンだった高澤さんの教訓も生かされました。写真を撮ってくれる人は「そこに私は居ません」状態になります。今回は対馬さんと高澤さんが入れ替わりで撮っていました。

◇お願い
 ご自分のカメラに同窓会の写真がある方はメールか郵送でお送り下さい。ブログに掲載いたします。

同郷人の及川さん(旧姓・佐久間)も初参加!

●すっかり、都会の奥様になっていた及川さん。私と同郷の福島県出身、本人は「訛りが取れず話すのが苦手」といつも言っていたような覚えがある。でも彼女らしさであるし、長岡さんを見ろよ、堂々としている(失礼) でもその訛りも懐かしい。
●彼女のご主人は東大の職員さんと聞いた。写真コーナーで「山の写真」を出しに来店する彼。山が好きな彼女、そしてめぐり合い。お客と店員の関係から「山を愛する共通点は、点から線、線から面に」

●今回、彼女は、私の記憶の奥底で眠っていたある人を連れ出してくれた。その人は「森作さん」です。
完全に覚えていないので、当人から名前を告げられても?かなりの時間を経て、おぼろげながら出た方です。在籍期間がかなり短い点もありました。(在籍中の写真は後日にアップ)
今は、横山たえ子さんです。

●及川さんはコープさいたまの組合員。総代会で石川祐司さんと遭遇。休憩時間に二人で話しをした。
及川さんの友達が「あなた、どうして理事長とお話できたの?」と聞かれたとの事。
また、横山さんは、コープかながわの組合員で、私が店長をしていた「小菅ヶ谷」に住んでいる。

あの長岡節が、また聞けた!!

●まるで、元気が看板を背負って歩いている原さん(旧姓・長岡)!!「豪快な笑い方」「懐かしく思える、あの訛り」そして「あのハイトーン」は、永遠です。その存在感は不動

●神奈川県伊勢原に在住、御詠歌など歌や踊り?を趣味に活躍中。その元気の秘訣、教えて!
 また、彼女は、今回、初参加の下田ミホ子さんの連絡先を教えてくれました。(着物姿の美人)そんな気配りをしてくれるところもさすがですネ。

石崎ヒナ子さんです。(旧姓・榊)

●石崎さんも、初参加?通称、「ヒナちゃん」と呼ばれ、皆から親しまれていた彼女は、「九条の会」など地域活動をしっかり頑張っているそうです。小さな体に秘めたパワーは、健在でした。何故か、段々、若くなっているみたいで、どうなっているのでしょう?
●彼女の「一言メッセージ」がFAXの紙がジャムってしまい、掲載できませんでした。深くお詫びいたします。後日、ブログに掲載予定です。

2009年4月9日木曜日

当日は彼女がすべてだった。山野内さんです。

●世話人ではないのに、彼女は、受付をこなし、生協への支払いもやり、二次会の会計も全部やってくれた真の世話人です。名ばかり管理職が問題になりましたが、世話人の勝負ドコはなんといっても、当日が勝負です。いくら準備しても当日がダメな時は評価が厳しいのです。
●できる人とは、彼女のことです。受付で会費を頂く、2人分で8000円を7000円を支払い「ハイ、二人分」と勘違いする人(故意ではなく、老化からくるらしいが)、そんな時でもにこやかに、「ごめんなさい、1000円足りないのネ」とやさしく。1度あげた資料を「貰っていない」(同様です)「ハイわかりました」とその人の席から持ってきて「はい。どうぞ」その後、資料には、あやうい人には、名前を書いて渡していた。会が始まる、事務局に駆け寄り「もう少し、広くして上げられないかしら」という。そうだ狭い、生協に会場が狭すぎるのでなんとかして欲しいとリクエスト。少しだけ広くなる。

●終了間際は、私は酔い、後は二次会。写真のプリントと機材を宅急便で送るだけ(この支払いも記憶なく後日、対馬さんに聞いて、チャンと支払っていた事を確認した。宅急便の領収書はあったが、写真はレジに申請しないとダメでそれをしなかった)そんな状態のまま、彼女は、生協の支払い、カンパ金、二次会の収支をいつの間にかやっていたのだった。それは、翌日、ザックを開けた時に袋の表にすべて人数から収支・残高まで記入されていた。 感謝の二文字だった!

●私は、お礼のメールを送った。彼女からの返信「私の運命なので...。」ガーン!!

そこで、皆様にマジなご提案です。
彼女を世話人にしたい事です。第四回の同窓会でも同様なことをやっているのです。今回の同窓会を開くに当たっても、彼女に世話人を1度だけお願いしたのですが、事務局のチカラ不足で、OK取れず、引いてしまう訳ですが、皆様のおチカラをお借りして再度、チャレンジしたいのです。どうかよろしくお願い致します。次回の同窓会を圧倒的に成功させるために

必ず、OBの会も、同窓会も、参加する優等生の平山さん

●平山さんは検収責任者でした。たしか九州男子で、実家は「お寺さん」?お名前が『広海』さんで、ソレらしいでしょう。当日は、受付の1時間前に到着され、私を出迎えてくれるハプニング。構内で随分、道に迷ったらしいが、更に、農学部のトイレの行き方を教えたが、帰りは迷ってしまったらしい。

●お顔がいい色になって、元気そうだし、次回も必ず参加してくれるハズだ。ポイントは、「わかりやすい道か場所」だ。

挨拶する、菅谷さん。第3回同窓会の幹事さんでした。

●甘いマスクと「スガヤです」の切り出しで有名。第三回同窓会の幹事を行い、忘れかけていた購買部の記憶を鮮明に引き出してくれた方で、第四回と今回とアトムのエンジンをかけた張本人。
綺麗な奥様は「カシコさん」で、正崎さんと菅谷さんは、普通はありえない?昔は普通?『合同結婚式』なるものやって、世間を?驚かせたのはスゴイです。私と同じく、コープかながわで、一時は私の上司でした。髪はグレイでも、まだしっかり、ふさふさで?手入れがいいんでしょうか?教えて欲しい。

募集します。長野ツアー!

●このブログをご覧の方々へ。とりあえず、①思い出の白樺湖 ②車山ハイクか横川渓谷③田代さんの『芸』観劇?④湿原のキャンプ・星空ウォチング⑤温泉でどうでしょう?1泊か2泊で?誰か車の運転して欲しい。アトムは車を持っていないのです。歩きか自転車しか乗らない生活に切り替えてしまいました。
●賛同される方は、メールアドレス:esnpark@jcom.home.ne.jpまで。まだ何も決まっていません。
尚、お持ちになっている、道具。たとえば、テント2人用などをお知らせ下さい。ナンデモです。

挨拶する、宮内美保さん!

●似ていますネ!「秋田のコケシ」人形に。組宣部で、亡くなった小川さん(旧姓・深井)と共に、病院に生協の店をつくる運動をやっていたかナ。好仁会?の展示即売会なんてお手伝いをした事も思い出の一つです。
●そういえば、美保さんの弟さんがいて、2人で生協に勤務していて何だか面白いナアと感じた事がある。弟さんは食堂系で、「労空」(労働者の空手を学ぶ団体)で、鈴木恭さんたちとやっていた記憶がある。顔もそっくりだった。

長野の田代さんと宮内美保さんの2ショット!

●初の参加となった田代さん。真面目とひょうきんさを合わせ持つ人で、スポーツ担当だった。その性格は、今の活動に発芽。東大生協からさいたまコープへ、生協を離れ、本当にやりたかったと考えられる、福祉関係の仕事に。そして、今、老人ホームの「慰問」活動、元来のやさしさと天性とも思える、青空のような明るさから、なんと芸名を持つほどの役者になってしまったのです。是非、一度、その芸をお目にかかりたいですね。
せっかく、長野から来て頂いたのですが、話を交わす時間もなく、二次会は酔ってしまい、記憶は定かでないのです。
●須藤さんも長野が実家なので、簡単に連絡の取れるメンバーで遊びに行こうと思いますが、皆様どうでしょうか?
●宮内美保さんと田代さんも同時期のハズです。年代別テーブル効果が出ていました。
内緒の話ですが、美保さんのご主人様に、何気なく聞いた事があります。「美保さんのどんなところが好きですか?」すると、ややテレ気味に『秋田のこけしみたいなところかナア』(思わずなるほど!!) 
 尚、ご主人は、当時、「カムイ伝」等とともに「民話」をよく読んでいた記憶があります。

元検収コンビです!

●このお二人は、宮内さんと立石さん(旧姓・床波)の元購買部の検収コンビです。本当は、隣に稲代さんがいて検収トリオだったんです。そして、労組の半専従(半日仕事で半日労組、今でもあるのかナ?)
をしていたアトムの四人組でした。

●宮内店長は、頭脳明晰そのものです。物事の本質を見極めるチカラ、分析力そして行動力には、いつも「目からウロコ」の毎日でした。ブレーンストーミングなど、当時では想像もできない私にはビックリする手法を教えてくれました。人柄も素晴らしく、あの、錦野 ヒロシの「空に太陽がある限り」は凄いの一言に尽きます。私もカラオケは好きなほうで、たまになじみのスナックで歌うと、アンコールも来てしまう事もたまに?あるのですが、宮内さんのこの歌は、マジに心に響く内容なのです。よく知らない人は「少し変わっている」なんて言う時があるけど、人間としての生き方がわかっていない人が多い。
本当に頭が良くて、一生懸命に生きている人の見本みたいな人なのです。私の仲人を一つ返事でやってもくれた人でもあります。竹倉さんと宮内さんから学んだ事は、コープかながわでフルに活用させて頂き、その結果、理事会でナント、専務理事候補に3人に一人だった事をかながわを離れてから、当時の専務と飲んでいる中で聞き、少々、サプライズだった。

2009年4月8日水曜日

三浦さん、大手術で復活、検査入院でOKの上、参加!

●東大生協とコープかながわでもご一緒させて頂いた三浦淑男さんは、コープかながわを離れた私も毎月参加している「歩こう会」で時々、お会いしていました。以前、山を下山中に、突然、数メートル下に落ちたのです、三浦さんが。幸い、草が茂っている土手でしたので、怪我もなく、無事でしたが、その事故は、彼の体調になんらかの異変が起きている兆候でした。その後、有志10数名位で、三浦さんのふるさとツアーに行きました。白神大地、ねぶた祭りと連日、山と海を歩き、新鮮な魚貝と山の幸を頂く、それは、豪華な旅でした。しかも三浦さんの友人がガイドとドライバーで毎日ハードな日程をこなして頂き、超美味しいお酒のも出逢い、最高の毎日でしたが、一番疲れたのが彼だったのはと感じていました。
●その後、歩こう会で彼の姿が見られないのに気づき、「最近、三浦さん、見えないネ?」と聞いたところ
「本人の要望で、皆が心配するといけないので、言えないけど..。」「でも、いづれわかるので。実は、心臓のバイパス手術をしてリハビリ中なのよ」皆でお見舞いのカンパが集められ、代表がお見舞いに。

●その後、歩こう会の忘年会に元気な姿を見せてくれ、一同「良かったネ!」

今回の同窓会の参加の前にも、奥様のミッチャンと電話で「検査入院、結果次第で参加できるかどうか」という話を2回ほど行い、OKがで参加して頂きました。(但し、お酒はドクターストップ)

福島・矢祭から参加の福田さん!

●若い頃から、「長谷川一男似」(もう知らない世代も多いが)と言われた、福田さん(旧姓・矢萩)は、以前、生協を離れてから、神奈川の海老名で自転車さんをしていた。私のすぐ近くとは知らなかった。福田さんは検収の責任者(副店長みたいな)だった。皆、若く、やる気も満々だった購買部の面々は、議論百中し、熱くなり過ぎぶつかる時もあった。その時、なだめる役が彼だったと思う。温厚な性格は今も変らない、変ったのは、写真の通りなのです。

●参加に当たって、心配されるのが宿泊だった。長野の田代さんは「息子のとこ」秋田の佐藤さんは「息子夫婦のとこ」で、福田さんは「どこか探して」のリクエスト。「寝るだけなら安いとこでいいですか?」「それで頼むよ」だった。二次会から近く、上野にも近いトコ。4-5件ネットで探す、この時期、サッカー大会、企業の研修が多く、一人に宿泊はやや難点がある。私は飲んで終電に遅れた時にタクシーでは、東京から神奈川まで帰ると、酔いが覚める位の料金でたびたび後悔していた。またカラオケボックスに泊まる事もシバシバだった。そんな馬鹿な事も随分やった経験から、思い出した。3回ほど利用した、カプセルホテルだ。意外と寝れるし、洗面用具もあり、シーツなどの清潔だ。二次会会場から5分にあった。当日、福田さんを竹倉さんと小野さんと私でカプセルホテルまで同行。ロビーを見て、これなら大丈夫と思ったので、そこでサヨナラをした。

●4日後、福田さんに電話。「清潔で、よく眠れた。ありがとう」との事、心配が一つなくなった。

購買部の華・生協の花、黒岩弘子さんです。

●東大生協の美人戦略?学生がよく来店し、職員がよく働くように、高度に仕組まれた隠しワザに一つと思われる(アトムの妄想)ことがこれだ。確かに、購買部の女性達は、一部の例外(超失礼)を除き、綺麗な人が多かった。その代表格が彼女だ。家具売り場にいた私とPGは購買部の入り口正面であった。PGのカウンターで、家具の商品配達を書く、いつも一緒だ。学生や院生の黒岩ファンは多く、私には一目で黒岩目当てがわかった。(推測&憶測)手口は、クラッシクのコンサートのチケットを1-2回購入し、3回目位に「今回のは初来日で、お聞きになりませんか?」と問い、彼女は「当然、聞きたいですわ、でもチケットがお高いので」と「では、私にプレゼントさせて下さい」との流れだったと、記憶は定かではないが...。間違っていればすみません、でも似たケースは?(しつこいナ)

●彼女もOBの会世話人事務局で、福澤さんと紅2点。福澤さんは、会計に強く、酒も強い。黒岩さんはあれでいて、付き合いがよく、特別企画の旅行なども100%参加する。今度、黒岩さんをメインにした企画をやろうと世話人会終了後、誰かが言っていた。(私は耳がいい、耳鼻科の聴音検査でいつも先生がここの音まで本当に聞こえるのですかと驚かれる)

伊藤久美栄さんです。凄く偉かった人なのです。

●伊藤久美栄さんは、駒場から本郷に移動し、業務系の責任者。東大生協から東京事業連合に、初代の業務部長、業務担当理事を経て、さいたまコープの顧問をしていた大物です。

●OBの会世話人・事務局メンバーの一人で、なくてはならない存在です。偉い人にありがちな態度も全くなく、きさくで、結構、面白い人なのです。(秋葉オタクらしく、よく秋葉に行くそうです)OBの会の記念写真の大半は、実は彼が撮っています。デジタルではなく、銀塩で撮るのがいいらしい。

●ここだけの話 彼は同窓生ではありません。(一言メッセージ参照)「のっぴきならない関係で」と死語に近い!(失礼)お言葉でしたが、電話では、「購買は、若い女性が多いしネ」とポロッと。
 伊藤さんこそ、お若い!!(いつも、踊る走査線の織田が着ているコートみたいのを着用してます。)


こちらも初参加のお二人です!

●ご存知、谷さんと諏訪さんです。確か?購買部の商品を都内中心に配送を谷さんが行っていて、私も家具担当で谷さんのお手伝いで一緒にトラックに乗りました。谷さんはある時(当然、飲み会)に「手塚くん、あの頃は楽しかったナア」と言われ、私は「そうですネ。楽しかったデスネ。」と答えたのでしたが、本心は(谷さんが怖かった)のです。ある意味では、仕事の厳しさを知らない私には、「いい薬」でした。

●諏訪さんは竹倉さん、大和さん、諏訪さん、宮内さん、伊藤さんと5人の上司のお一人です。
購買部にいたころから、糖尿病との闘いをしていましたが、その後、大学生協、初経営の「渋谷」のホテルの支配人を永く、携るように。私も1度だけ泊めていただきました。その私も同じ病になるとは、夢にも思いませんでした。その頃は!?
●最近、やや耳が不自由と奥様が電話の先でおっしゃっていましたが、同窓会では、少し表情が少ないのが気掛かりですが、私の思い過ごしかナ?

食べる、須藤知子さん!

●お食事中を、失礼します!! 定年とは思えない、若く、可愛らしさがある?須藤さん。今度、OBの会世話人にもなりました。今回の同窓会、初参加。お一人で子育てもやり、長野の親の看護もしたりして頑張っているようです。(月に2-3回車を飛ばして実家の長野へ。)ご本人にも半月板を損傷し、ご苦労な事が多いのに、いつも笑顔を絶やさない、皆の事を思うその姿は素晴らしい女性になったナアと痛感しています。(尚、ブログをよく見てくれていて、私をも励ましてくれてます。今後ともよろしく)

談笑する、お二人!!

●秋田から参加の佐藤忠一さんは、実は、今年の2月に横浜で逢ったのです。高島屋の前で、待ち合わせた時、携帯でどの辺にいるかを話していると、かなり近くにいるらしいのです。グルリと見渡すと、禁煙場所でスパスパと堂々と、タバコを吸っている、野球帽にジャンパー姿の男が携帯で話をしているのが見えました。俺も吸いたいのをガマンしているのに!と、よく見るとその男はアノ、「チューさん」です。  今回、高澤さんなどの参加もチューさんからの情報で実現したものです。

●立石さんは、いつも年賀状を交わすジョウトモです。今年の年賀状には、水中をダイバー姿で泳ぐ写真が...。相変わらず、元気です。

■チューさんは、わざわざお土産を秋田から、私の分と皆の分を持って来てくれました。皆様にその事を紹介するのを忘れていた事は申し訳なかったナア(でも召し上がった方はチューさんのお土産だって、と食べていた事を後から知りました)

竹倉さん、健在!!

●今回の同窓会の目玉とも言える、『竹倉さん』が、ついに登場した世話人会では、当初、竹倉さんのお話を第一部のメインに30分位の時間をとり、ミニ講演も検討していました。60年代の参加者の大多数は、彼に会いたいという気持ちが強かったのです。しかし、近年、奥様を亡くされたことから外部との接触を閉ざしていた経過もあり、今回は留保せざるを得ないとの判断をしました。

●しかし、そこは竹倉さん。世話人の心配は無用でした。あの竹倉節が帰ってきたのです。司会から「1分~2分以内で」との配慮をよそに、お話は、江戸時代の話までエスカレート、司会と事務局からマキが入る一幕もありました。またの機会があれば、1時間でも2時間でもお聞きした気持ちでした。

●竹倉さんにもう一度会いたいとの願いは、7年前の同窓会でも、多くの方から出されていました。連絡先がわからないなどの空白時間もあり、今回の開催についても、竹倉さん抜きではとの思いもあり、OBの会に参加されていた、高橋忠信さんに、この件を相談したところ、ナント「事情もあり、限定されるメンバーの範囲で懇親会ができる」との吉報が届いたのです。昨年、夏に池袋で竹倉さん、ご本人と6名のメンバーで懇親会が開かれたのでした。(終了間際に竹倉さんに、同窓会の件を要請、OKをとることができました)

2009年4月6日月曜日

OBの会、伊藤事務局長の挨拶&CM

●200名近い会員となった東大生協OBの会事務局長の伊藤さんは、しっかりと同窓会でOBの会を宣伝、未会員が多く、生協の中で1番大きい職場のHSは注目の的。一人ひとりを回り、書類を渡す伊藤さんを見て、司会の大崎さん「彼の熱心さに感じた。今年も五月祭に行こう」と後日、FAXが着ました。

石崎さん・原さん同世代のテーブルでした。

●ヒナちゃんの愛称で呼ばれていた、旧姓、榊さん。「九条の会」で活躍中の事。原さん、旧姓、長岡さん。どこからでも聞こえる声は相変わらず高くて元気。御詠歌などの唄の世界で、奮闘中との事。

山野さん・横山さんのコンビは相変わらずデス!!

●二人で入場、二人で同席。二人で書くアンケート。昔から、このお二人はいつも、一緒。違うのはご主人だけ?趣味も、「社交ダンス」と「ウォーキング」で、違うワ。
●アンケートは、36名中22名の提出とやや低い回収で、残念ですが、大半の意見・要望がわかってきました。出していない方はFAXでも結構ですので、よろしくお願い致します・

世話人・正崎さんの挨拶

●第四回同窓会以降、世話人として継続している正崎さん。以前に大手術をやったとは思えないが、「料理を家族の為に、毎日、作っている」との事。今回は、竹倉さん対応を世話人として大仕事をやって頂いた。
●薬などの副作用がなければと思うが、健康管理・体調管理には、十分に注意をして貰いたい。

司会を頑張る、大崎さん。渋さも出て益々いい男に。

●大崎さんは、今回から世話人として活躍。第一回の資料から、自ら、ドンドンと同窓会のお誘いをやり始めて、「電話の範囲での感触は15-17人はいけそうだ。」と。住所の不備でトラブルもあったが、毎回、出席して頂いた。
●当日の様々な準備を2名で行い、十分とは言い切れないが、設営などの会場準備を手際よくすすめ、司会をやりきって頂いた。
●個人的には、新しい「自治会の立ち上げ」やご本人自体が「自治会長」に..。と多忙な中の活躍で頭の下がる思いだった。(しかもその地域は活動が困難な地域!)

森泉(石川)和恵さん、伊藤光男さんも初登場!

●60年代から70年代の参加が広がった、今回の同窓会、この二人を見ると、その広がりがわかる。同窓会は、時空を超える点が、同期会との違いがある。違う時代、違う視点、違う体験と何処かに、共通する点が必ず出会える。単なる思い出から、再発見という世界がある。例えば、よくやっていた慰安旅行の出し物なんかもそうだ、伝説となった白浪五人男は、HSの伝統になっていた。山の会に丸山さんが参加していた。60年代には考えつかない丸山さんの姿が楽しそうにいる。(後日、写真掲載予定)
●その意味では、今回からが、「本格的な同窓会」づくりのスタート地点に立ったと思う、それを写した1枚の写真では。

高澤先生、ついに登場!

●トレンチコートに身を包み、ネクタイ姿は、ご存知?スポーツ担当の高澤さん。あの「白樺湖」の記念撮影は、彼が撮ってくれた事が、最近、判明した。彼は痛恨の1枚だと言う、「そこに私は居ません」
今回の記念撮影は、対馬さんと彼が撮ってくれていた。2枚あります。対馬さんが「そこに私は居ません」の経験が生きてよかった。(高澤さんは佐藤忠一さんからの情報で、連絡がついた)

混み合う、受付。一時は行列にも。

●伊藤久美栄さん、初参加「購買部の改装などでのっぴきならない関係で、同窓生ではないが参加」との事。OBの会の重鎮で、第四回同窓会に「どうして僕を呼んでくれないの?」とリクエストもありました。
●及川さん、旧姓は佐久間さん。本当に久し振りの御対面、スリムで都会的な奥様になって初登場。
●宮内ご夫妻、相変わらずのおしどり夫婦。OBの会でもよく見かけてます。お孫さん(あのユキちゃんの子)もいて、仕事・交友・趣味とバランスよく過ごされているようです。

松本さん。終始、「稲代さんが、稲代さんが」と。

●高橋稲代さんの訃報を、皆に伝えてくれてた。「お花を挙げたいの。なんとかできない」と事務局に。何時までに注文すれば?「ウン。12時までなら」幾ら位?「15000円」と即答する彼女。らしいナ。
●昔、畔上さんが、亡くなった時も、彼女から「どうしよう?何をすれば?」葬儀にはお互いに参列はできない状況。東大生協本郷購買部同窓会一同で弔電を打とう、今はそれしかできない残念だけど。「ハイ」の二つ返事だった。彼女は以外な時に、意外な行動ができる面があるのではとつくづく思う時がある、貴重な存在である事は間違いない。

長野から来た、スター田代さん・初参加!!

●その時、40年の空白が瞬時になくなったお互い神奈川と埼玉のそれぞれの地域生協に行って、以来の再会。田代さんは生協を離れて、今、福祉系に関わり、老人ホームで慰問活動中らしい。しかも芸名を持つ、タレント的活動で、お年寄りを楽しませる活動との事。本来の田代さんだと思う。奥さん(旧姓市村さん)もお元気との事。ゆっくり話しを聞きたかった。

11時ごろに来ていた、早い3人組!!

●この3人さんは誰かわかりますか?
世話人・事務局の打ち合わせが11時からでしたが、その事務局より、会場入りが早い人達です。
三浦さん(数日前に検査入院して、OKだったの事、元気で参加)、平山さん、OBの会でも毎回参加する。ヒョーとした感じは相変わらず!そして今回、初登場の下田さん着物姿がよくお似合いです。
なんだか、一段とお綺麗になった感じは、私だけではなさそうですナ。


同窓会・当日の写真集です。




お待たせいたしました!3/28同窓会写真集です。
●大崎さんの司会、世話人の正崎さんの挨拶、竹倉さんの久々の名セリフ!秋田から参加の佐藤忠一さんの乾杯の音頭で始まった、第5回東大生協同窓会は、冒頭、前日に亡くなった、高橋稲代さんの訃報のお知らせが伝えられた会場は、一瞬、静まりかえりつつも、司会者から、カンパのお願いがなされ、多額のカンパが寄せられました。(カンパは、花代・香典に、記念写真は、納棺されました)●狭い会場は、皆さんが活躍された年代事にテーブル配置され、思い出話がしやすい工夫と、喜ばれました。思い出アルバム上映は、やや見づらく、遮光が不十分の後悔がありましたが、大半の方は未を乗り出してご覧頂いたようです。(ゆっくり見てみたいとの声も..。)●東大農学部という会場(場所)は、東大生協の発祥の地でもあり、思い出深い面はありましたが、メニューが、学生向きの面があり、難しさが残りました。●参加者は、1名の欠席と1名の当日参加で、計画通りの36名でした。記念写真は、対馬さん撮影分と高澤さん撮影分と2枚あります。これは、対馬さん撮影分です。尚、写っていない方はお知らせ下さい。メールなら、即、送信致します。また、写真を貰っていない方も同様です。●写真に写っている、横断幕は、参加出来なかった、「松本邦夫」さん作成のもので、何度も使える、力作です。[Photo]

2009年4月1日水曜日

高橋稲代さんの告別式に参列。

●3月27日未明に高橋稲代さんがお亡くなりになった事は、このブログや同窓会当日にお知らせいたしました。3月28日のお通夜にも、同窓会終了後、松本、高澤さん達が参列してくれましたが、東大生協本郷購買部同窓会として、異例ではありますが、同窓会でのカンパを頂いた事もあり、事務局の一存ですが、3月29日の告別式に、カンパを同窓会名で「香典」に、同窓会・記念写真を「納棺」させて頂きました。何卒、ご了解のほど、よろしくお願いいたします。

第五回東大生協本郷購買部同窓会、開催する。

●2009年3月28日(土)東大生協、発祥の地・農学部生協食堂にて、参加者36名で7年ぶりに、「本格的な同窓会」が開催されました。

1.50年代・60年代・70年代の在職した方、3世代の参加者。
2.歴代の店長が勢揃いとなった事。(故人、連絡先不明者除き)
3.初めての参加者が約半数になった事などが、主な特徴でした。

●参加者のアンケートでは
A.逢いたい人に会えた。80%以上の人が回答
B.3年に1回の同窓会開催をと70%近い人が回答
C.同窓会以外の企画にも、案に期待が80%の方が回答
D.「ブログ」「写真集」「FAXニュース」等も高い支持がありました。

●今後に生かす点として
イ.『会場(場所)』は良いが『料理』に難点
ロ.『写真集』は良いが『見づらい・遮光問題』
ハ.アンケート回収率が60%にとどまった事など

●二次会は、事前では、参加する8名、気が向いたら8名が
 会場には、19名が参加し、語り尽きない時間を楽しまれようです。
 尚、高橋稲代さんの訃報に、お通夜に参列した方も数名います。
 寄せられたカンパは「お花代・香典」に使用させて頂きました。