2009年5月25日月曜日

「ハルさん」シリーズno7・最終回

●福武元理事長、?,岡安元専務とハルさんで、この4人が、大学生協の共済事業の設立の立役者らしい。ハルさんによるといろいろなエピソードがあるという、いつかお聞きしたい。

●日生協で「共済・事業委員」をやった時があるが、当時はコープかながわは「ふれあい共済」(独自)で、日生協は「あいあい」という保険に近い大型共済をメインにしていて、議論になった。「あいあい」を展開する、コープこうべとコープかながわは真逆であり、日生協は、コープかながわの「おもちゃ共済」と影で笑っていたが、加入数と剰余高で圧倒し、実力で「粉砕」した。

●日生協の若手はかながわに訪問にきて「路線はかながわだと思う。我々も努力します」と...。
 その後、日生協は路線を全面的に変更し「たすけあい共済」をメインに飛躍的に発展した。
 時代は変化はするが「戦略」は変化しない点が大事だと...。

●岡安さんが高橋稲代さんの「喪主」をしていた。「どうしてか?」聞くと、「いろいろな関係」と言う。彼らしい。詳しくはOBの会で聞こうカ?

●山下さんがOBの会に参加する、昔、労組の委員長をやっていた時、理事会との攻防は見事で、凄い人がいると思った。私の奥さんが沖縄全軍労支援で、ご一緒させて頂いた。彼女は、帰りの飛行機のチケットを紛失、1日遅れて帰るというチョンボをした思い出がある。当時はパスポートが必要な時代だった。(チケットはポケットの中にあったが慌てたので...。)
そういえば、TV「カンブリア?宮殿」に出ていた山下さんは、司会の女性にいい評価だった記憶がある。

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